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日本ブラジル交流年
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藤原会長を囲みなごやか新年会
岳さんの尺八も流れて
 県海外協会の2011年新年会が1月6日、松山市内のホテルで開かれ、会員ら67人が新しい年の門出を祝うとともに、協会運動のさらなる発展を誓い合った。
  創立28年を迎える協会が新年会を催すのは初めてのこと。今年は特に、藤原利貞・在伯県人会長が正月をはさみ帰県中で、「藤原さんを囲む新年会」として開くことになった。
  冒頭、井上善一協会長があいさつ。「在外県人との連携・交流を旨としてきた協会は間もなく30周年を迎える。昨年はロスの県人会訪問や、ブラジル研修生の受け入れなどを行った。これら一つひとつの活動は会員をはじめ多くの人々に支えられてのこと。まことに意義深く、ありがたいこと」と謝辞を述べた。
  この後、協会顧問である関谷勝嗣元参議院議員の祝辞や、松岡八十次・南加県人会長らの祝電・メッセージの披露、藤原会長のあいさつなどがあり、西原進平県議会議長のカンパイの音頭で懇親が始まった。協会顧問である衆議院議員の永江孝子、高橋英行両代議士も駆けつけてエールを送った。
  この席にはブラジルからの県費研修員と留学生も加わり会話を弾ませた。アトラクションとして、協会員の広川憲二氏らによる器楽演奏や、岳人山氏による「春の海」などの尺八演奏もあって会場は終始華やいだムード。最後は協会理事で県議の山本敏孝氏が締めのあいさつ。山本氏は「これを機会に、県議会のなかにブラジル議員連盟を立ち上げ協会活動との連携を図るべきだ。そんなことを同席した西原議長と話し合った」と語り、満場の拍手を誘った。(2011年1月)
味の外交官、留学生に和食伝授
調理指導する小田さん
 海外協会主催による和食料理教室が19日、松山市三番町の「コムズ」調理室で開かれ、外国人留学生ら34人が和食の基本である「一汁一菜」の作り方を学んだ。
  受講したのは愛媛大学で学んでいる中国、台湾、タイ、フィリピン、ブラジル、アルゼンチン、メキシコなどの留学生。このほか、ブラジルからの県費研修員や、協会員、一般市民も加わった。指導したのは、協会員で調理教師の小田哲靖さん。
  この日の献立は麦ご飯、みそ汁、てんぷらの3点。受講者たちは6つの班に分かれ、留学生と市民が協力しながら、仕込みから、煮炊き、盛り付けまで、小田さんのアドバイスで調理を進めた。
  小田さんはウルグアイ大使館の公邸料理人を3年間にわたって務め、現地で和食を広めてきた人だけに外国人に対する教え方も堂に入ったもの。「だしのとり方は、材料にストレスを与えてはいけません。じっくりとうまみをとりましょう」「だしをとった後のイリコやコンブも大切にし、できるだけ再利用しましょう」などと丁寧に説明。留学生たちは理にかなったお話と鮮やかな包丁さばきに感嘆しながら見よう見まねで作業を進めた。
  広い部屋はやがてみそ汁やご飯のかしげる香りに包まれ、最後は全員がそろって試食の時間。出来上がったばかりの料理を堪能しながら、そこここに国際色豊かなランチ風景が繰り広げられた。指導した小田さんは、この日の教室を総括し「みなさんは、きょうで和食の基本をすっかりマスターしました。お国に帰っても周りの人たちに和食の良さを広めてください」と留学生にエールを送っていた。
  海外協会では、留学生らの希望にこたえ来年2月6日にも再度、小田さんによる和食教室を開催し、今度は鯛めしやお吸い物の作り方を学んでもらうことにしている。(2011年1月)
精神世界伝える作品 「無我堂」写経展開く
  海外協会の理事で、写経道場を主宰する村上空山さんの「空無我堂 第27回写経展」が今月初旬、松山市の萬翠荘で開かれ、大勢の入場者が詰め掛けた。
会場には、会員らが手がけた写経や、書、仏像の彫刻、絵画など80点を展示。特別コーナーには山本空外上人の百寿の書「般若波羅密多」や、湯川秀樹博士の書「空山」などの逸品も並べられた。
また、ブラジル第6期研修生4人が村上さん宅にホームステイした際、したためた作品も。全員筆は初めてだったが、「かたよらない こだわらない」などの文字を丁寧に仕上げていた。このほか、先ごろ帰県した松岡八十次・南加県人会長の筆になる「絆」の色紙も展示され、力強いその作風が会場の話題を呼んでいた。(2010年11月)
来春、最後のリサイタル 「楽聖の真髄」求めて半世紀
               宮城道雄筝曲家 松本 安也子さん(松山)
松本 安也子さん
   今回が最後のリサイタルということですが?
  松本 そうです。こうして、ここまで来られたのも多くの人に支えられてのこと。感謝でいっぱいです。一人で全ステージをこなすのはハードで、そろそろ限界かなと体力のことも考えました。
  いま、リサイタルに向け、練習を重ねていますが、不思議なことにいろいろなことを思い出します。
  私が生まれたのは西条。家の近くには、きれいな川が流れていました。祖父からは「向こう岸まで泳いではだめ」と注意を受けていました。でも、ある日、意を決し向こう岸までザブンと泳いだのでした。理由はよく覚えていません。でも、あのときの鮮烈な水の感触、高鳴る心臓、岸で叫ぶ祖父の声。それらがないまぜになって、よみがえるのです。私の表現活動は、ひょっとすると、あのとき始まったのかもしれない、なんて思うのです。
  川を渡るとは、示唆的なお話です。師宮城道雄の思い出などは?
  松本 13歳で門をたたいて以来、師をはじめご宗家の宮城喜代子先生、宮城数江先生のご指導を受けました。宮城道雄先生はもの静かで、観音さまのようなお方でした。間近にいらっしゃりながら遠い存在でありました。一方、喜代子先生と数江先生とは、ともに笑い、ともに泣き、一緒に旅行をし、師というよりも親そのものでした。
  今度のリサイタルはどのような内容になりますか?
  松本 これまでリサイタルではテーマを決めて師の作品世界を追ってきました。今回は、その集大成と位置づけています。門下生にも加わってもらい、ステージでは最初から最後まで師の作品を演奏します。
  特に、終曲の「筝と室内管弦楽のための『越天楽』による変奏曲」は、指揮をしてくださる三石精一先生が新たに編曲してくださったものです。第一バイオリンは元N響コンサートマスターの坂本玉明先生が担当され、豪華メンバーによる管弦楽となります。豊かな音色の中で、一面の筝がどのように変化し、飛翔し、融合していくのか、とても楽しみです。
  私の人生をかけた筝が現代の人たちにどのように理解され、それぞれの人の耳にどのような音色を残していくのか。私はただただ無の心で臨みたいと考えています。
  松本さんは琴を通じての国際交流も担ってきました。最後にこのあたりのことを。
  松本 松山市が初めてサクラメント市に民間使節団を派遣したのが1982年春。その時の調印式などで演奏したことが縁となりました。その後、市国際交流協会の事業として「外国人のためのお琴教室」が始まり、ドイツや、中国、アメリカ、オーストラリアなどの若者を指導してきました。
  外国の皆さんは目を輝かせてくれます。日本の文化を吸収しようという熱意があって、こちらが教えられ、ハッとさせられることもしばしばです。
  リサイタルは今回で最後としますが、「音の旅」は生涯続けていきたいと考えます。今後は日本の伝統芸術であるお琴を海外で積極的に伝承していきたい。そうしながら、世界のいろいろな音楽を聴き、学びたいと思っています。
  大河は滔々と流れるということですね。ありがとうございました。
 ※「一面の筝と洋楽との融合 松本安也子 筝リサイタル」は11年1月22日(土)午後3時から、松山市道後一万の「ひめぎんホール」メインホールで開催する。南海放送が主催、海外協会など後援。入場料などの問い合わせ先は南海放送チケットセンター=電話089(915)3838。海外協会事務局でもチケットを販売する。
  
(2010年9月)
目下、愛媛で研修中
ラファエル・河戸
ヤスヒロさん
 ことし6月から県費研修員として愛媛へ。母方の祖父母が今治市出身の3世。23歳。大学で食品工学を専攻しており、卒業に必要な実習習得のためやってきた。
県工業技術センターで研修をしているが、1歳から日系の幼稚園で日本語に親しんだため、言葉のハンディはない。真っ正直で温和な人柄が好印象で迎えられている。
「大学を卒業した後は日系の会社に就職したい。目指したい企業はいろいろあります」。相手の目を見て、ゆっくり、そして確かな言葉を返す。
松山に来て驚いたことが三つあった、という。まず、ものすごく暑いこと。「祖父から聞いてはいたが、これほどまでとは思わなかった」。次に、びっくりしたのは街がきれいなこと。そして、3番目はラーメンのおいしいさ。
「日本で食べるラーメンは、ブラジルのとは全然違います。でもネ、お寿司なら祖母が作るのが一番いい。祖母は寿司の料理の名人。人を雇い、あちこちから注文を受け作ってきました」。
研修期間は来年3月まで。時間の許す限り、自分の誇りとする日本文化を吸収するつもりだ
(2010年9月)
日本語めきめき上達
平岡 エレン
美幸さん
   県費留学生としてブラジルから4月に来県。愛媛大学教育学部と日赤松山病院を行き来しながら留学生生活を本格化させている。
ブラジルではサンパウロ州ピエダーデ市の医療機関に心理士として勤め、麻薬依存症患者のケアなどにあたってきた。母方の祖父母が新居浜市出身。母のユリ子さんが第1回の県費研修員だったため、自身の留学は長年の夢でもあった。
明るく、何ごとに対しても積極的。協会の研修生OBの寄り合いには、いつもこの人の笑顔がある。協会員で歌手の冬木ゆみさんとともにミニステージに立ち、本場のボサノバを披露したりもする。
お陰で、日本語のほうも驚くほど上達。周りの人たちをびっくりさせている。
自身の職業や研究のことに話が及ぶと口元を引き締める。「麻薬患者のケアは大変難しい。いつも心を悩ませる。こちらでは、専門分野のほか、発達障害についてもしっかり勉強したい」と意欲を語る。
自分自身に対する宿題も携えてきた。「実は、ブラジルには不登校というものがないんです。それが日本にはある。文化や教育の違いによるものでしょうか。なぜなのでしょう。できれば、こちら居る間に自分なりの答えをみいだしたい」。26歳。
 
(2010年6月)
人生はチャレンジ
ユウジ 松田
  フジサキ
 海外協会の研修生として2007年10月、愛媛におじゃましました。弟のカシオ、いとこのルーベンスらも一緒でした。20日間の滞在期間は実にすばらしいひとときでした。日本文化ばかりか、祖父が育った愛媛を初めて知ることができました。
 私は29歳。さまざまな職業的チャレンジをしています。愛媛を訪問したときは、わがホームタウンのプレシデンテ・プルデンテ市(サンパウロ州)にある家畜用栄養薬品会社で獣医として働いていました。ブラジルに戻ってからは、別の家畜医薬品会社の役員として働くようになりました。
  今の会社は、サンパウロ市近くのサンジョゼドスカンポス市にあり、猫、犬、牛、馬、豚、羊などあらゆる動物の多種多様な医薬品を製造し、ブラジル全土で販売しています。
  私はさらなる挑戦がしたくて、ジュトゥリオ・ヴォルガス財団の学資援助を受け、目下MBA(経営学修士)コースで学んでおります。今年が最後の仕上げの年です。愛媛での体験は人生の大いなる節目になったような気がします。人々は優しく親切で、懸命に働くことや人間関係の大切さを教えてくれました。皆さんに心からお礼を申し上げます。 
 
(2010年2月)
来年からは日本語猛勉強
関谷忠機
アウシーデスさん
   サンパウロ大学の造船工学科を卒業。サントスの海事会社に勤務するかたわら、愛媛からの訪問客があるたびにサントスの観光案内を務めてきた。
  先月、県国際交流センターの里帰り制度のもと、初めて「ふるさと」の土を踏んだ。奥さんのオーガさんや仲間3人と連れ立っての訪問だった。
  「愛媛に来ることは幼いころからの夢でした」。短い滞在だったが、道後温泉や、しまなみ海道、タオル美術館、内子などを訪れ、ふるさとの文化や風土、人情に触れることができた。
  西予市では海外協会研修生のOB宅にホームステイ。そこでは見覚えのある大勢の若者に囲まれて、熱いメッセージを披露した。
  「私は来年、会社をリタイアするつもりです。定年には少し早いが、日本語も勉強し、母県との架け橋になりたい。母県との交流がなければ県人会は細ってしまう。私も頑張る。次の世代を担う皆さんも頑張ってほしい」
  話が父・由忠さん(松山市出身)のことに及んだとき、柔和な顔をぐっと引き締めた。「父は県人会長をしていたとき、県人交流センターを造る運動に取り組んだ。県関係者を訪ねて寄付を募った。ブラジルは広く、長い月日を要した。ホテルに泊まればお金が要る。齢80歳にして、車に寝泊まりしながらの活動でした」
  62歳。移民二世。ブラジルに帰れば、父の大いなる志にいざわなれての「第二の人生」が始まる。 
 
(2009年12月)
デザインの仕事は刺激的
竹中マイーラさん
  皆さん、お元気ですか。一昨年の秋、海外協会の研修生として仲間3人と愛媛を訪問した竹中マ イーラです。
  温かい歓迎を受け、日本文化を学ぶことができました。楽しかった当時の思い出は今も鮮明 に残っています。協会の方々や、ホームステイさせてくださった家族の皆さんには心から感謝を しています。
  私はあの時と同様にサンパウロから350キロ離れたバウルという中都市に住んでいます。 愛媛から戻った直後、パウリスタ州立大学のグラフィックデザイン科を卒業しました。
  今年3月からはデザイン会社に勤務しています。ブラジルの認定商品を開発する小さな会社ですが、 世界的ブランドである「バービー」や「PUCCA」「ミッキー」などとも連携しています。 私はこれまでにバッグ、ショルダーバッグ、学用品、靴、おもちゃをデザインしました。
  この業界は、刺激的かつ創造的で、大変気に入っています。仕事のかたわら、私はファッションデザインの 勉強にも打ち込んでいます。
  いつかまた日本を訪れ、日本のファッション文化を学びたいと思っています。再会を楽しみにしています。 
 
(2009年9月14日・メール便)
県協力隊を育てる会が20周年の式典
生き生きとした表情で活動報
告をする3人の帰国隊員
  県青年海外協力隊を育てる会(関啓三会長)の設立20周年記念式典と総会が7月28日に松山市内のホテルで開かれ、会員らがさらなる活動の充実を誓い合った。
  隊員OBも含め150人が出席。冒頭、関会長があいさつに立ち、本県の隊員は世界で38人が活動中であることを報告。近年の人口問題や異常気象などを挙げ「国際感覚をもった青年の育成が大切となっている。 支援の輪を一層広げたい」と語った。
  恒例となっている帰国隊員の報告会も催された。フィリピン・レイテ島で活動した看護師の十亀亜都美さ ん=伊予郡松前町=、中米ベリーズに赴任した体育教師の横内悠さん=四国中央市=、パラグアイに出向い た保健師の田村元美さん=西宇和郡伊方町=の3人が登壇し、現地での苦労話や感動体験などを報告しあった。
  このうち、パラグアイの無医地区で保健指導にあたった田村さんは「驚いたことに、現地の人々は、 病気は薬で治すものと信じ込んでおり、栄養摂取による疾病予防などは思いも付かぬようだった。私の2年 の活動は地道なもので、目立ったことは出来なかった。しかし、帰るころになると住民の間に栄養に対する 考え方がようやく根付いた感じだった」と報告した。
(2009年7月28日)
目下、総選挙のお手伝い
藤原マルシア
めぐみさん
  愛媛県での1年間の留学生活を終えて、早くも4カ月が経ちました。帰国直前は色んなところでカルチャーショックを受けてしまいました。例えば、貧富の差が激しいこと、ゴミの分別が出来ていないこと。でも、ブラジルの広々とした大地や、人間の温かみをみると、ブラジルはやっぱりいい国、住むにはブラジルが一番だとあらためて思いました。
帰国して少しの間は父の農場の仕事の手伝いをしていましたが、6月からは、在サンパウロ日本国総領事館でアルバイトを始めました。在外選挙が8月中旬に行われるので、その準備をしています。サンパウロは日本以外で日本人が最も多い所なので、在外選挙の中でも一番規模が大きいのです。選挙が行われる4日間、物事がスムーズに進むようにするのもアルバイトの重要な役目です。農場の手伝いや、農業実習、翻訳や通訳くらいしかやったことがなかった私にとってはすべてが新しく、やりがいがあります。
アルバイトは在外選挙投票最終日までという契約なので、今の仕事が終われば就職活動を始める予定です。日系人として、日本との繋がりを保っていきたいので、日本企業に勤められたらいいな、と思っています。  
 
(2009年7月25日・メール便)
郷土の味…ヤキトリ・タルト
日本祭りでふるさとの味を
アピールした県人会会員ら
 県連主催の日本祭りが7月17日から3日間、サンパウロ市内のイミグランテスイベント会場で開催され、わが愛媛県人会も2日間出店しました。ヤキトリ、串刺しテンプラ、松山名物のタルト、サケピリニャ、甘酒を販売しました。販売や準備のためにたくさんの婦人部の方が駆けつけてくれました。
 県人会センターの台所での地道な作業でしたが、そのお手伝いが無ければ日本祭りへの参加はできません。婦人会の皆さん、販売で頑張ってくれた青年部の皆さん、ご苦労様でした。
 日本祭りの会場にいると「私も愛媛出身ですよ」「私の親も愛媛出身です」と、懐かしそうに声を掛けていかれる方がずいぶんいます。あの会場を同窓会の会場のように思っているようです。来年はもっとたくさんの若い世代の参加をお願いします。
(県人会報・2009年7月号から)
 

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